ハワイの可憐な少女デュオ、べッツィアンドクリスの歌う「白い色は、恋人の色」は、今なら200万枚をこえるであろうメガヒットだった。たどたどしい日本語ながら、清らかに澄んだ二人の歌声は、日本中で親しまれた。

僕が彼女らをプロモートしていた青山音楽事務所に入ったのは、「白い色は、恋人の色」が大ヒットした3〜4年後だったと思う。彼女らに関わったのは7度目くらいの来日、デビュ−時高校生だった二人は大学生になっていた。
出迎えに空港へ行った僕は、大スターしかも白人の可憐な女子大生『べッツィアンドクリス』との対面に胸を高鳴らせていた。しかし「感動の対面」、、、とはいかなかった。
入管手続きを終えて、ロビーに出てきたのは倍ぐらいに太った(おばさんのような)『べッツィアンドクリス』だった。

『べッツィアンドクリス』は外見ばかりでなく中身も(おばさんのような)『べッツィアンドクリス』だった。クリスはともかくとしてべッツィは文句ばかり並べる。ホテルのフロント係、部屋、ルームサービス、取材のマスコミ、仕事の内容、、、。後に石原真理子と出会うまでこんなにわがままなアーティストはいなかった。

今回の来日のハイライトはMGMレコード移籍第一弾(もっとも第二弾は無かったが)となるアルバムのレコーディング。有楽町の読売ホールでのコンサートを収録して、ライブアルバムを製作することになっていた。ただのライブでは面白く無いので、当時頭角を現しはじめていたシンガーソングライター達に曲を依頼、彼らの人気にもあやかろうという企画だった。
僕らは人脈を駆使して作家陣を揃えた。チューリップの財津和夫、つのだひろ、マイク真木、加藤和彦そして井上陽水ら。

出来上がってきた曲を彼女らはおおむね気に入ってくれたが、井上陽水の作品だけは頑として受け付けなかった。
『普通郵便』と書かれたカセットテープに収録されたその曲は、確かに難しい曲だった。しかし、妙に心うつ楽曲だった。僕らは必死でべッツィを説得した。人気の衰えたべッツィアンドクリスの新境地としてシングルカットも考えていたからだ。
しかし説得出来なかった。
結局この来日を最後に彼女らは音楽界から姿を消した。

2年程たったある日ラジオから流れてくる曲を聞いてぼくははっとした。
「さびしさのつれづれに、てがみをかきました、、」

『普通郵便』は「心もよう」とタイトルを変え井上陽水自らの歌で大ヒットを記録した。

 

 

音楽旅日記