イエローキャブといえば今をときめく大プロダクション。
CCガールスを筆頭に数多の巨乳アイドルを次々世に送りだしている。
そのイエローキャブがまだできたばかりの頃のお話。

高中、来生、安全地帯と次々にビッグネームが育つと同時に沢山のアーティスト企画が持ち込まれた。ニューミュージック一色のレーベルを総合レーベルに変えていこうという僕らの思惑もあって、この頃は結構無節操にレコードを出した。
ヒップアップ、コント赤信号、ビジーフォー(レーベルはソニー)など、漫才ブームに便乗しようとお笑いものを連発したこともある。アイドルにも触手をのばした。

堀江しのぶ、といって何人の方が彼女を思い浮かべることができるだろうか?
それほど彼女の芸能界における活動は短かった。
ヤングマガジンの美少女アイドルとしてデビューした堀江しのぶはKittyレコードの宣伝部長として最後に扱ったアーティストだ。
歌はうまくなかったが162cm、89−59−90のダイナマイトボディー(自分で書いていて恥ずかしい程おっサン臭い表現!)に白い歯が印象的な笑顔を持った愛くるしい18歳だった。

デビューを決めたのはいいものの当時はKittyの最盛期。
前記の3組の外に、RCサクセション、上田正樹、カルメンマキ、H2O、小椋桂らのメインアーティスト、デビューを待つ久保田利伸、バービーボーイズら、それに加えて「うる星やつら」「だいじょうぶマイフレンド」などのアニメ、映画がひしめいていたから人も予算も割けない。しかし対外的な体裁を付けなければいけないので彼女のような企画ものは宣伝部長の肩書きを持つ僕が直接担当「いちおしでいきますから」等と調子のいいことをいって相手をごまかしていた。

講談社、イエローキャブからデビューにあたってプロモーションビデオの制作を要望された。予算的に難しいことは僕が一番分かっていたが、堀江しのぶにかけるイエローキャブ社長野田さんの熱意と講談社に対する面子の前につい「OK]を出してしまった。
後悔しても後の祭り、なんとか格好を付けなくてはならない。

考えた挙げ句自分で作ることにした。
まずカットの中に機影を入れることで全日空から、僕カメラマン、助手野田さん、しのぶの沖縄航空券を、ホテルでのシーンをふんだんに取り入れるということで開業したばかりの万座ビーチホテルの部屋をタイアップでゲットした。
僕は行きの機内でしのぶのカセット「ビキニバケーション」を聞きながら絵コンテらしきものを作った。

ディレクターなしスタイリストなしで撮影は進んだ。
被写体が魅力的であるということはなんて素晴らしいことだろう。海を、花を、空を背景に堀江しのぶはチャーミングな笑顔と健康的なエロスを振りまいてくれた。おかげで僕がレス板を持ったりイエローキャブ社長の野田さんがポーズをとったり(そうだ!この時すでに野田さんは、『だっちゅうの!』ポーズを盛んに取らせていた)のインチキ撮影隊にもかかわらずそれなりのビデオが撮影できた。

その時以来僕はしのぶに会うことはなかった。もう一枚Kittyからリリースしたはずだが、この後僕はビデオ制作に移りレコードの現場から離れた。

それから5年、すでに彼女のことを忘れていた僕にびっくりするニュースが届いた。『堀江しのぶさん、激性がんで死去』
ガンが若い体を猛烈な勢いで蝕んだ。

沖縄で見たあの健康的な姿態、、、。
滅ばぬものはないと言え余りにも早く、はかない生だった。

 

 

音楽旅日記