1)グッバイディ

来生たかおが「夢の途中(セーラー服と機関銃)」の大ヒットを飛ばすまで6年の歳月を必要とした。
作曲家としてはシルエットロマンス、セカンドラブ等のヒットで頭角を現していたものの、自身のレコードとなるとからっきしだった。 
「夢の途中」を発表する一年程前、栃木放送の小田島ディレクターにたかおを高く評価して頂き「グッバイディ」が同局の推選曲になった。チャンスだ。
僕とたかおは、足繁く宇都宮に通った。 

当時の宇都宮にはビジネスホテル等なく、駅前のひなびた旅館が常宿だった。富山の薬売りのおじさんとか出稼ぎの人たちがいつも利用していた。
テレビもない汚い部屋にいるのが嫌で僕らはできるだけ遅くまで外出した。と言っても十時を過ぎるとほとんどの店が閉じてしまい、仕方なく駅の待ち合い室で時間を潰した。 
テレビをみながら僕はポケットウイスキー、たかおは缶コーヒーを飲んで(彼は酒が飲めなかった)時間を潰した。 
たいがいのアーティストならば愚痴の一つでも出そうなものだが彼は違った。僕の関わったアーティストの中で彼程謙虚で人柄の良い人はいなかった。それだけに彼に賭ける僕の気持ちも強かった。 

苦労の甲斐あって「グッバイディ」はベスト3にランクイン、コンサートの企画も持ち上がった。キャパ300とはいえ彼にとっては初のビッグイベント。 
それまでたかおは20人程のライブハウス経験しかなかったのだから。 

当日、たかおや他のスタッフより遅れて宇都宮に入った僕はドキドキもので会場入り。果たして、ホールは女性客を中心に満員の盛況だった。 
胸をなで下ろす暇もなくコンサートが始まった。たかおの声が少しうわずっている。無理もない。だいたいが人前に出るキャラクターではなかった。 
ステージは淡々と進んで行く。 
僕はホールの一番後ろで腕組みしながら見ていた。 
観客は静かで大人しい。受けているのかそうで無いのかまるで分からない。
 
「ファーストコンサートってこんなものかな」少しの落胆の中ステージは終わり幕が下がった。 
その時、予想もしていなかったアンコールの拍手が起こった。僕は舞台のそでに走った。アンコール曲なんて用意もしていなかったのだ。たかおに「グッバイディ」をもう一度と指示した。 

幕があがり、たかおに再びスポットがあたる。はにかみ笑いを見せながら、「グッバイディ」を歌う。 
今まで大人しかった観客はコンサートの終了を惜しむかのように声をあわせて歌いはじめた。『グッバイディ、そしてアイラブユー...』 

やっときた、やっとここまできた。 
大合唱を聞きながら涙が込み上げて来た。
 
その夜、駅前の旅館でたかおはビールを飲んだ。

 

2)夢の途中

一人のアーティストが成功にいたるまでスタッフには忍耐が必要だ。簡単に諦めず成功を信じてプッシュし続ける。スタッフと同時にアーティスト本人も自分を信じてたえなければいけない。 
来生たかおがアーティストとして成功をおさめるまで6年の歳月を要したことは前にも書いた。今考えると良くぞ6年間互いに耐えたと思うが、決して何ごともなく信頼関係が続いたわけではなかった。最大の危機は、まさに「夢の途中」のリリース直前に訪れた。

来生たかおが角川書店とKitty Filmの共同製作映画「セーラー服と機関銃」の主題歌を歌うことになった。当時角川映画の主題歌は、その大量TVスポットと映画の成功によって必ず大ヒットした。 
レコーディングも無事終了し、たかおは意気揚々と全国ライブハウスツアーに出た。 

僕は出来上がったジャケットのダミーを持って札幌へ飛んだ。リハの合間を縫って打ち合わせ、たかおの顔はいつになく輝いていた。そこへ社長から電話。 
『角川さんが薬師丸にあの曲を歌わせて主題歌にしたいと言うんだ。』 
「えっ、じゃたかおのは?」 
『オリジナルカバーとして同時発売する』 
「映画への挿入は?」 
『ない』 
「ち、ちょっと待って下さいよ。そりゃないですよ。たかおはもうその気になってますよ。まずいですよ。」 
『大丈夫、絶対たかおのも売れるから。とにかく明後日ひろこがレコーディングするからたかおを連れてスタジオに入ってくれ。』 
「ヤバいですよ、絶対えつこさんがなにか言ってきますよ」 
『説得してくれ、とにかく頼んだからね』 

電話はきれた。大変なことになった。それでなくてもここのところ来生姉弟はKittyに不安、不満を持っていた。Kitty生え抜きのアーティストなのになかなか芽が出ずTAKANAKA、OZに先をこされている。このままKittyに留まっては、ヒットを出せぬまま埋もれていくのではないか、と。それに作詩、作曲家としてはすでに売れっ子の姉弟は他のレコード会社との接点も多い。移籍話しも少なからず来ていたことを僕は知っていた。そこへ映画主題歌から外れるとなったら不満が決定的になることは明らかだった。

とてもライブの前に話せることではなかったのでコンサート終了後たかおに告げた。
「そりャないよ」たかおの反応も僕と同じだった。「そりゃないや。あんまりだよ」 
大人しいたかおとしては精一杯の抗議だったろう。僕の食事の誘いを断ってたかおは一人パチンコをしに出かけた。 

たかおはめったにクレームをつけないアーティストだった。そのかわり姉のえつこさんがいろいろ言ってくる。案の定、翌日東京に帰った僕に電話が入った。
その夜、六本木でえつこさんと逢った。かんかんだった。もうKittyを辞めると言う。 C*Sソ*ーレコードから引き抜きが来ていることも隠さなかった。僕は必死で説得した。
Kitty全体で来生を大プッシュすること、ひろこに負けないだけのTV、ラジオスポットを流すこと、そして何より僕のこの曲に賭ける思い、たかおへのこだわりを掛け値無しで伝えた。最初聞く耳持たぬと言う様子のえつこさんも最後には理解を示してくれた。
『これで最後よ。ダメだったらKittyをやめるから』

翌日僕はたかおの自宅まで迎えに行き二人目黒のスタジオへ向かった。 
既にひろこはリハの最中だった。 
「きれいな声だね」たかおの感想通り澄んだきれいな声が聞こえてきた。 
たかおをひろこに引き合わせる。 
「初めまして」と薬師丸ひろこ。 
「よろしく」とたかお。そのはにかんだ笑顔をみた時、移籍の危機は去ったと思った。 

薬師丸ひろこ「セーラー服と機関銃」は映画、主題歌とも大ヒット。
同時発売した来生たかお「夢の途中」は出足こそ遅れたものの、その後薬師丸を上回るヒットを記録した。 

 

3)25年目の手紙

始めて君のレコードを買いました。
『Dear My Company』デビュー25周年記念盤。もう25年も経つんだね。

デビュー前Kittyでインペク(レコーディングのためのスタジオミュージシャンの手配)や写譜のアルバイトをしていたたかお、ぼくらの野球チームの一員だったたかお、デビューアルバムがなかなか完成せずようやく出来上がったそれも全てやり直しめげてたたかお、僕らの期待を一身に集めてようやく『浅い夢』でデビューしたたかお。
『Dear My Company』を聞き乍らいろんな事が昨日の様に思い出された。

僕が君と一緒に仕事をしたのは最初の6〜7年だね。それでも想い出が一杯ある。
青山タワーホールの「浅い夢」コンサート、チケットが売れなくってKとかI達と渋谷でただ券撒いたっけ。
「マイラグジュアリーナイト」僕の同級生だったTBSのIがコーディネートしてくれたね。彼のやっていた「サウンドインS」でたかおの特集やったよね。慣れないTV出演で出る方も見る方も冷や汗ものだった。
栃木放送のOさん。Good Bye Dayを一位にしてくれた。
文化放送のHさん。とにかく君を気に入って、さだまさしにあわせてくれたりラジオドラマ「銀河鉄道999」の主題歌「美しい人」やオレンジ通り五番街のテーマ作らせてくれたり、、、。

セーラー服の主題歌が薬師丸に決まった時、僕らは一緒に札幌にいたんだよ。覚えてる?Tさんから電話が入って「たかおに伝えてくれ」と言われて、、、。辛かった。伝えた時の君の言葉『そりゃないよ』今でも耳に残ってる。
東京に帰って薬師丸のレコーディングに立ち会う様にというTさんの言葉に僕は君に申し訳なく思い、家まで迎えに行った。もうKittyをやめると言うえつこさんを六本木の「炉談」でKと二人説得した事もあった。
「夢の途中」がヒットして急いでアルバムを仕上げた。ジャケット写真も時間がなくて大慌てで撮影したっけ。「つまらんジャケット作って」とTさんに怒られた。僕の親友が結婚する時テープにコメントと歌を入れてくれたっけ。

君は小さい頃からサラリーマンに憧れていた。家族に手を振り乍ら仕事に行くのが夢だったね。君はその夢のとおり結婚をしてから家の近くに仕事場を借りて毎日家族に見送られ乍ら朝出かけていったね。

新曲「ねがえり」と「いいのかな、、」を聴いて昔と変わらない君を見つけてとても嬉しかった。ライナーにあった「変わらない 変えられない 変えるつもりもない」君らしい言葉だ。

後25年経つと僕らは75才。変わらず曲を作り続けてるのかな。
お元気で。無理をせず頑張って下さい。

PS 相変わらずヘビースモーカーの様ですね、ジャケットのあちこちで煙草すってる。

 

 

音楽旅日記