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僕がKittyで最初に関わったアーティストは、カルメンマキ&OZ。
「私は風」が少し話題になりかかった時だ。マキちゃんはしっかりとしたビジョンを持ったアーティストだった。メンバーのはっちゃん(G:春日)、作詞の加治木剛の影響も強かったと思うが自分の気持ちに合わない仕事や取材は絶対に受け付けなかった。
スタッフというのはとかく何でもいいから露出を増やしたい、スケジュールを埋めたい、という傾向がある。売りたいという気持ちに冷静さを失ってやらずもがなの仕事を決めてしまう。こんな僕とよく話し合いを持ちアーティストの気持ちというのを教えてくれたのがマキ達だった。ただこの仕事はいやだ、というのではなく理由をちゃんと説明してくれる。
マキが絶対拒否した仕事が、単独取材、単独出演。ロッカーとしてはまだそれほど認知されていなかったマキも「時には母のない子のように」のヒットや篠山紀信のヌード写真で有名な『カルメンマキ』はマスコミから仕事の依頼が多かった。
取材も必ずメンバーと一緒、写真も然り、僕が1年間程制作したニッポン放送日曜深夜番組「真夜中のスケッチ」のDJもみんなと一緒と単独行動はいっさいしなかった。自分もOZの一メンバーという思いが強く、僕らからすれば有り難い話も全て断った。
最初はそこまでこだわらなくても、と思った僕もマキのロックやOZに賭ける情熱を肌で感じるにつけ理解できるようになった。
こののち高中やRCサクセションら大勢のミュージシャンと関わることになる僕にとってマキ&OZはとてもいい先生だった。
このころはまだアーティスト数が少なく僕はほとんどのOZのステージを見た。
「後楽園球場、World Rock Fes」「日比谷野音、Rock Concert」「郡山、One Step Festival」etc.etc.まちがいなくマキはロックの女王だった。特にキーボードのラッキーこと川崎君が入ってからのOZは、ただパワフルなだけでなくよりドラマチックなステージを僕らに見せてくれた。
2回目位の全国ツァーの時だったろうか。仙台のコンサートに同行した。
市民会館だったか市民文化ホールだったか記憶がはっきりしないが、市内から離れたところにあるそのホールはそばを広瀬川が流れあおぎ見れば青葉山が望めるというすばらしい立地だった。
開演5分前。控え室でメンバーがいつもの『儀式』をキメテいる。メンバーの一人が僕にも『儀式』を勧めてくれた。僕もキメル。
メンバーはステージへ、僕は舞台そで通路を通って2階ロビーへと出た。
「崩壊の前日」のイントロが始まる。『儀式』によって研ぎ澄まされた神経に音が突き刺さる。ドラムス、ギター、ベース、キーボードすべての音がクリアーに聞こえる。
ロビーの大きなガラス越しに広瀬川が見える。見上げると夕焼けに燃えた山が眼前に迫ってきた。
僕をマキのタイトなボーカルが包み込み、意識は別世界へトリップした。 |
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