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NHKホールの楽屋で会って以来というからかれこれ16年ぶりになるのだろうか、小椋さんと再開した。
蒸し暑い夜、小椋さんは僕の店を訪ねてくれた。癌の手術からまだ一年と経たないというのに、しっかりとした足取りで店の急な階段を登って来た。
「やぁ、御無沙汰してます。こんなところでまたお会いするなんて、なんか不思議な感じですね」瘠せた身体にかっての面影はなかったが、穏やかな口調と眼鏡の奥にのぞく視線は昔のままだった。
あまり知られてはいないが小椋さんの歌のルーツは「琵琶唄」だ。昔「渡瀬逍遙」という琵琶唄をモチーフにしたアルバムを作ったこともある。
元来薩摩琵琶はその名の通り鹿児島薩摩が発祥の地。 室町時代末期に薩摩盲僧琵琶から派生した琵琶で、今日、正派、錦心流、錦琵琶、鶴派など多くの流派がある。薩摩島津藩の島津忠良が、武士の道徳教育の目的で薩摩盲僧淵脇寿長院に琵琶歌を作曲させたのが始まりで、江戸時代末期に池田甚兵衛が今日の正派様式を確立した。明治維新後、東京を中心に全国に広まり、男性的な楽器としてもてはやされた。明治後期、東京の永田錦心が都会的趣味の錦心流を開き、分派。以後、本来の薩摩琵琶を正派とよぶ。
何かのきっかけで薩摩大使になった小椋さんは、何度かの鹿児島訪問で「正派薩摩琵琶」が後継者不足等で絶滅の危機にあることを知る。
都会的で音楽志向の強い錦心流、その流れをくむ錦琵琶や鶴派は今も多くの奏者がおり、海外も含め展開されているが本家本元の「正派薩摩琵琶」は鹿児島で細々と伝えられているに過ぎない。
音楽性よりも精神性をよりどころとするそのルーツや楽器の高価さ(作り手自体埼玉県に一人在住するのみと聞く)が相俟って滅びようとしているのだ。
事実僕の回りの人たちも殆ど見聞きしたことが無いと言う。
このままでは鹿児島から薩摩琵琶が消えてしまう、、事態を憂いた小椋さんは知事に直訴、学校教育の場で薩摩琵琶を取り入れる様提案した。提案を受け教育長が動き若干の予算付けもなされた。しかし所詮は役所仕事、以後事態は動かないばかりかこの小椋さんの動きに反発する正派の発言も聞かれた。
そんな話を僕のところにもたらしたのが小椋さんの実弟Y。かってKittyで同じ飯を食った仲間だ。現在は小椋事務所のプロデューサー。
僕の心を動かしたのは小椋さんの思いと言うより、薩摩で生まれた文化が全国に伝搬、しかしながら本家本元が滅びつつあるという事実だった。
僕には何も力がないが「隠れ酒場」のメンバーは当地では実力者揃い。ハートも熱い。彼らなら事態を進展させてくれるのではと考えた。
早速ミッションインポシブルではないがメンバーを選びK君に引き合わせた。皆趣旨に賛同、動きが始まった。中でも◯ちゃんことMさん、うっとり娘ことUさんの活躍は素晴らしく、なかなか実現できなかった正派の方々と小椋さんの対面、参るドS氏の番組特集や紙面での紹介等がなされた。
そんな皆さんの尽力の結果今回「小椋佳 薩摩琵琶の夕べ」が開かれる。
薩摩に生き続ける「正派薩摩琵琶」江戸で独自の変化を遂げた「薩摩琵琶」そして西洋音階を奏弾可能にし様々な楽器とセッションする「薩摩琵琶」これらの競演が実現するのだ。
小椋さんの薩摩琵琶への愛情、みんなの情熱が壁を少し崩し夢に一歩前進した。
「隠れ酒場」が薩摩文化の伝承にほんの少し貢献できた様で嬉しい。
薩摩琵琶の夕べ
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