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1)MUZAN
僕達は沢山のアーティストや作品に仕掛けや演出を加えてヒットを作って来た。
時にはいやがるアーティストを説き伏せてでも実行したこともある。
ヒットを作って来た、、と書いたが成功する事もあれば失敗する事もある。いや成功事例の方が少なかったかも知れない。
下田逸郎、遠藤賢司、佐渡山豊、あがた森魚、高田真樹子、鹿取容子、センチメンタルシティロマンス、ブルーベリージャム、、、沢山のアーティストがKittyでヒットを飛ばす事なく去来した。いまだ活動を続けている人もいれば音楽界から身を引いた人もいる。
自分は売り出しのプロだ、という自覚があった。自分の考えやプロデュースの方向は間違っていない、ヒットしなかったのは運がなかった、良いものが売れると限らないのがこの世界だ、、、と考え、過ごして来た。
ところが最近一人のアーティストのレコードを聞いていて、ふと自分の失敗に気がついた。
中山ラビ。岡林信康、加川良等と京都でフォークを歌っていた。シンガーソングライターとして実力もあり少ない乍らも熱心なファンもつかんでいた。
彼女はKitty生え抜きのアーティストだ。陽水、小椋佳、カルメンマキ&OZ、来生たかお、RC サクセション、高中正義etc.etc.次々とアーティストを育てていった僕らはラビをもビッグにしたかった。山崎ハコ、中島みゆきらを横目に見乍ら次は絶対ラビだ、と意気込んだ。
元々ラビの音楽はギターの弾き語りから始まった。その後バンドをバックに歌う様になる。「ひらひら」「人は少しづつかわる」今聞いても心打つ名曲を何曲も発表して来た。
ラビは歌が滅法うまい。一度カラオケへいって彼女の『美空ひばり』を聞いて感動した。
ルックスも生き様も魅力的な女性だ。
しかしステージの彼女は『素』のままだった。飾りっ気、化粧っ気がなくT-shirtsにジーンズ。
僕らは彼女の持っている魅力、すなわち歌唱力、ルックス、個性を最大限引き出そうと考えた。
中山ラビという裸の存在を我々スタッフの手で飾り立て演出しようとしたのだ。
それまで彼女は自作の曲しか歌わなかった。そこでまず彼女の歌の魅力を最大限生かそうと本人の希望もあってプロデュースと作品を加藤和彦に依頼した。次に今迄のイメージを大きく変えるためスタイリスト、メイキャップアーティストをたて女流カメラマンによるジャケット撮影を行った。今思えば頑固なラビがよく首を縦に振ったと思う。K君や僕らの熱意が伝わったのか、彼女の中で何かが変わったのか今となれば解らない。
ともあれ中山ラビの大変身が行われた。
プロモーションのためPARCO劇場でのコンサートも行った。朝倉摂演出のステージは今迄のラビからは考えられないものになった。独り芝居に近いそのコンサートで、なんとラビは黒い下着姿迄披露した。
おそらく今迄のラビファンは仰天しただろうし、彼女の元を去ったかもしれない。
僕らは今迄のラビワールドをぶっ壊し、よってたかって彼女を新生させた。
しかし作品は作品として素晴らしいものだった。僕らはこの路線を突き進んだ。プロジェクトはますますエスカレートしイタリア録音迄行った。
しかし売れなかった。いつしかぼくはKittyを離れた。
最近ラビを聴かせた友人がいった。「全く別のアーティストみたいやね。僕は始めの頃の方が好きや」
本来の中山ラビと僕らがつくり出した中山ラビ。そこには二人のラビがいる。
僕はどちらも好きなのだが今聞き返してみると本来の中山ラビには永遠性が、普遍性がある。
ラビも後戻り出来なかったのだろうか、歌う事をやめた。
僕らが中山ラビを壊してしまったに違いない。ラビをビッグネームに、、、と焦った結果だった。
折角良い作品を作り続け、コアなファンをつかんでいたというのに、、、。
数年前昔のKitty仲間がラビの店を訪ねた。(彼女は歌手の頃から国分寺で居酒屋をやっていた)もう一度歌わないかと言う彼に「絶対いや」と言ったらしい。
僕らが余計な事をしなかったら、今でも歌い続けていたかも知れない。 |
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