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伝説
『ライブアーティスト』と特に呼ばれる人たちがいる。別にレコードがつまらないと言うわけでは無いが、ステージ上においてより素晴らしいパワーを見せつけ観客をエキサイトさせるつぼをもっている人々。RCサクセションをはじめとして僕がいたKITTYにはそんなアーティストが沢山いた。
その中で僕が仕事を忘れてのめり込んでしまったのが上田正樹とSouth To Southのラストコンサートだった。
関西で圧倒的な人気を誇る上田正樹がKITTYに移籍してきたのは、確かSouth To Southが解散することになったからだったと思う。メンバ−の中でキーボー(上田正樹)と有山淳二がKITTYに入った。
最盛期にバンドが解散してしまうと言うことは珍しいことでは無い。人気が出れば出る程メンバー間の軋轢が露呈しやすくなるものだ。実力者が揃えば揃う程それぞれの自己主張も強くなる。大体バンドは行き詰まって解散することはめったに無い。メンバーのAとB、Aとその他と言った具合にみぞが拡がって行くのだ。
ポールとジョン、ミックとブライアン(初期ストーンズ)数えればきりが無い。(そう言えばアノVenturesでさえノーキーエドワーズがボブボーグルとの確執でグループをさったというのだから笑ってしまう。。。失礼)
South To Southは解散してしまうのが本当に惜しいバンドだった。演奏はもちろんの事(特に有山のギター、弱冠18歳の中西のピアノは圧巻だった。)ボーカルに至ってはキーボー、有山、そして「くんちょう」と3人揃っていた。
僕は東京のマスコミ連中に解散前どうしてもSouth To Southのステージを見せたくてバスを仕立てて奈良へ向かった。
夕刻奈良到着。マスコミの連中は所詮物見遊山シカにせんべいをやったりしてのんびりと開場を待った。
会場は当然満員。解散を惜しむファンが大阪、京都からも大勢押し寄せて異様な雰囲気におおわれていた。マスコミ、DJ評論家達の顔もこれには一変した。
前に2度程彼等のステージを見ていた僕はこれから繰り広げられるディ-プでワイルドなソウルの世界に、立場を忘れてわくわくしていた。
South To South
のテーマで始まったステージはくんちょうのRock'n'Roll、有山のBluesを交えてキーボーのRandBスピリットが爆発した2時間だった。普段のキーボーは痩せていてどちらかと言うと精彩が無く物静かな男だが、ステージにあがるとエネルギッシュなSOULMANに変身する。
数回のアンコールを経てコンサートは終わった。
South To Southが伝説になった一瞬だ。
KITTYのスタッフは上田正樹を迎えて大いに盛り上がった。カルメンマキ&OZ、RCサクセションに加えて関西のライブ王がラインアップに並んだのだから、当時の最強ロックプロダクションと言っても過言は無いだろう。
我々は早速新バンドを結成。KITTY presents MASAKI UEDA concert tourをうちだした。
その日は良く晴れた日曜日だった。
朝9時、電話で起こされる。緊急召集だ。
5時まで飲んでいた僕は爆発した頭をシャワーで冷やし車に飛び乗った。
社に入るとすでに出社したスタッフが電話応対に追われていた。
キーボーが大麻容疑で逮捕されたのだ。
その日は大阪でツアーの初日を迎えるはずだった。自宅からキーボー(上田正樹)は連行された。
僕は全国のイベンター、主催名義の放送局へ連絡、日曜日故中々担当と連絡がつかずいらいらしていた。
そこへ社長が青い顔色をして到着。緊急役員会となった。テーマはーーーーー
『社長が逮捕されたら、どうするか』
間抜けな話だが、当日我々の一番の関心事はキーボーと関わったスタッフがその関連で引っ張られるのでは無いかと言うことだった。
当時沢山のミュージシャンやスタッフが大麻取り締まり法で検挙されていた。当然我々の周りにも捜査の手がのびていたに違い無い。
キーボーが追究されると、、、生きた心地がしなかったのは社長ばかりでは無かったろう。
しかしその後何も起きなかった。
キーボーが沈黙を守ったのか、皆大麻とは縁が無かったのかは定かでは無いけれど。
我々は出鼻を挫かれたがあきらめなかった。才能豊かなミュージシャンを埋もれさせてはいけない、義を守った寡黙な人間を(?)そのままにしてはいけない。
同じ横浜、いや大洋ホエールズファンとして格別仲の良かった僕は振り出しに戻ったキーボーを応援した。もう一度シンパ作りに励み再起の時を待った。奈良を伝説のまま終わらせてはいけない。
彼が「悲しい色やね」と出会うのは、それから2年後の事だ。 |
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